計算科学のエキスパート
電池材料の開発強化に貢献

計算科学のエキスパート 電池材料の開発強化に貢献
高度専門職|リードリサーチャー
市川 和秀

パナソニック ホールディングス株式会社
テクノロジー本部 
マテリアル応用技術センター 6部

Profile

国内の大学で、研究者として計算科学を駆使した宇宙物理や理論化学、量子物理の研究・教育に従事。2017年に、文部科学省平成28年度卓越研究員として、パナソニックグループに入社。計算科学による全固体電池材料の開発を担当する。2020年から、液系リチウムイオン電池のマルチスケールシミュレーションや量子コンピューター応用などの業務を担う。

※所属・内容等は取材当時のものです。

新規材料開発の高速化、低コスト化に欠かせないのが、情報科学を駆使したマテリアルズインフォマティクス(MI)です。計算科学に基づくMIを用いた革新材料やデバイス開発の事業貢献に取り組んでいるのが、市川和秀さんです。20年以上にわたる物理・化学分野での理論的・計算科学的研究の経験と、そこで培った高い基礎物理・数値計算・データ解析手法の知識・技術を生かしたいと、アカデミアからパナソニックグループに飛び込んで活躍を続ける市川さんに、話を伺いました。

Chap.1
アカデミアからパナソニックへ

シミュレーション開発の旗手

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Q ご専門について教えてください。

材料科学や計算科学と呼ばれる分野が専門になり、理論物理に基づいて物質の挙動をシミュレーションしています。もともとは理論物理と計算科学を使った宇宙物理の研究で博士号を取得しました。量子物理のミクロの世界の研究を続けてパナソニックグループに入社後は、より実応用の分野である、材料物性の研究を専門的に行っています。

物質は原子で構成されており、私たちは原子レベルで材料の物性分析を行います。例えば食塩はNaCl、つまりナトリウムと塩素の二つの原子が互い違いに立方体に並んで結晶構造を作っています。材料によっては原子の配置に偏りなどがあるのですが、少しの配置の変化で材料の性質が変化します。試作材料の原子配列を計算したり、逆に理想的な材料のための原子配列をシミュレーションで求めたりしています。

Q 特に力を入れているミッションは?
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液系リチウムイオン電池などの二次電池のデバイスシミュレーション技術開発を担当しています。新規デバイスを作るときには、これまで人手で試作して検討を繰り返してきたのですが、手間とコストがかかります。試作と検証を、コンピューター上のシミュレーションに置き換えて、開発の低コスト化と高速化への貢献を目指しています。

特に液系リチウムイオン電池は環境対策に効果が高く、グループ全体のCO2削減貢献量の観点からも開発が急がれています。高い安全性と信頼性を担保しつつ、革新性を持ったデバイスを迅速に開発するには、計算科学を用いた材料シミュレーションは欠かせないものだと考えています。私たちの研究所で独自のソフトを制作して検証を行っています。そして、将来的な技術に向けた準備や先端的な手法を取り入れた検証手法開発に取り組んでいます。

また、量子コンピューターの実用化を見越して、いかに効率的にモノづくりに落とし込んでいくのかを研究しています。例えば、原子配列の最適化という課題に対して、量子コンピューターは従来型の計算機をはるかにしのぐ適性を発揮することが期待されており、具体的な活用方法の研究、論文化などを行っています。

Q 材料科学のシミュレーションで難しい部分は?
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私たちの最終目標は、シミュレーションを行うことで、よりよい材料やデバイスの開発に貢献することです。そのため、大学などで行われているような、ゼロから立式してプログラムに落とし込むことが必ずしも求められるわけではありません。学術論文や他部門からもさまざまな情報を得て、自社の材料に適した計算式やプログラム、考え方を組み合わせて、新規材料開発に資する能力が重要になってきます。

例えば、「計算資源」という言い方を私たちはしますが、計算機の能力や開発までの時間などに、シミュレーション可能な範囲は左右されます。材料を構成する原子は、それこそ1兆の1兆倍ぐらいもあるので、一つ一つを見ると何年もかかってしまいます。材料の原子配列を簡略化したモデルを使って、期日内に最小限の計算資源で有効な結果を出すことが、計算科学者としての腕の見せどころです。

Chap.2
理論と実学の融合

パナソニックだからこそのやりがい

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Q アカデミアからパナソニックグループに入社して変化はありましたか?

私はもともと宇宙物理学でかなり広い範囲の物理法則を扱っていたので、分析対象が変わっても、変わらずにシミュレーション手法を開発できています。ただ、物理や計算科学といった分野での経験はありましたが、それを材料やデバイスに適用する経験はほとんどありませんでした。しかし、周りの人が親切に教えてくださり、自分の強みを生かして研究・開発をうまく進めてくることができたのは、パナソニックグループならではの風土があるからだと思います。過去の実験データも豊富に参照でき、モノづくりに関わってきた技術者が持つ「当たり前」が私にとっては非常に有用な経験知。「教科書的にはこうなるはずなんですが……」と質問してみたら「そこは本のまんまじゃダメなんだよ~」なんてこともありました(笑)。材料開発から工場での製造までを一貫して行っている当社の強みを最大限仕事に生かしたいですね。

入社してからはモノづくりという「実態」を意識して、よりマクロな視点を獲得できたと感じています。これまでは研究対象にしてこなかった物理法則を改めて勉強して活用するなど、学術面でも大きな充足感があり、知識を深めて実践する今の仕事がとても楽しいです。

Q 技術を高めるために心掛けていることは?
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日々、新しく上がってきた論文や教科書に目を通し、SNSも活用して、ちょっとずつでも知識を積み上げています。今はディープラーニングが計算科学の分野でも活用され始めており、少しずつ複雑な開発ができるようになってきました。大規模言語モデルを材料科学に応用させる方法も論文が出始めているので、自分も置いて行かれないようにどんどん取り入れていく必要があると実感しています。

また、同じように情報収集に熱心な同僚と情報交換したり、別の部署で同じように材料系の計算科学を担当されている方から教えていただく機会を逃さないように心掛けています。1人で何でも進められる人なんて10年に1度の天才だけだとよく言われます。だから、皆で議論する、話し合って物事を進めることがどんな仕事でも大切なんだと思います。

Chap.3
To the Next

広範な知識をフル活用して、社会に貢献

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学生の頃、ノーベル物理学賞を受賞したレフ・ランダウ氏の著書『理論物理学教程』に触れました。幅広いジャンルが網羅されていて「これを読めば物理の全てが分かるかもしれない!自然の摂理が理解できるかもしれない」と知的興奮を抑えきれず、理論物理を専攻するきっかけになりました。今の自分をランダウ氏と比較するのはおこがましいですが、彼のように広範な物理の知識をフル活用して開発を進める今の仕事が本当に面白い。今後も自分の知識と技術を高めて、より革新的な電池の開発につなげることで、最終的には気候変動が抑えられて、地球を救う一助になれたら良いなと思います。パナソニックグループに入ったからこそできる研究とその実応用を通じて、これからも社会や地球環境に貢献し続けたいと願っています。