開発者に聞く。手を上げるだけのロボットcocoropaを使ったら、人間のコミュニケーションに欠かせないものが見えてきた

筑波大学、パナソニックAug Labによる共同研究
開発者に聞く。手を上げるだけのロボットcocoropaを使ったら、人間のコミュニケーションに欠かせないものが見えてきた 開発者に聞く。手を上げるだけのロボットcocoropaを使ったら、人間のコミュニケーションに欠かせないものが見えてきた

ロボティクス技術の活用を、人の感性の延長線上に見据え、何気ない日常を豊かにする技術開発を目指すパナソニックのAug Lab。デザイナーやクリエーター、あらゆる研究者などを共同開発パートナーに迎えて、人と未来のあり方を考えている。

特に「共在感覚」という概念に着目し、コミュニケーションの本質に迫るプロジェクトでは、物理学の専門家である鈴木 健嗣博士(筑波大学人工知能研究室)と共に、遠く離れた場所にいる人との気持ちを繋ぐロボット「cocoropa(ココロパ)」を発表。「手を上げるだけ」という意外なほどにシンプルな機能のcocoropaを使うことで、一体どのように人はWell-beingでいられるのか。鈴木教授をお迎えし、改めて今回の共同プロジェクトに参加した思いを教えていただいた。

インタビュー:西村勇哉(NPO法人ミラツク代表)

(手を上げるだけのロボット、cocoropa)

身体性と空間性が叶えるコミュニケーション

西村さん:今日は、鈴木先生とパナソニックの共同研究のお話を中心におうかがいします。まずは、なぜパナソニックとの共同研究をすることになったのか、背景などから教えていただけますか。

鈴木さん:最初に安藤さん(パナソニック)から「何かご一緒できないか」という形でお声がけがあって、その時「未来の家について」とおっしゃっていました。未来の家といえば、スマートハウスなどを想像しますよね。私自身は人工知能とロボティックスをやっている身なので、家について何かできることがあるのだろうか、と思ってはいたんです。そしたらお話の中で気になるキーワードが2つ出てきました。

まず一つが「モーション」、すなわち動きのことです。私は以前から動きというものが非常に重要だと思っていて、英語のmotionにEを付けると“Emotion”になることから、心と体の両方が動くことの重要性を考えていました。そのため少し拡大解釈にはなりますが、心もちゃんと動くような家のプロジェクトなのかな、と想像したんです。

もう一つのキーワードは「共在感覚」でした。これも非常に重要なことだと捉えていたことで、10年程前から、人と人が一緒に過ごしたり、一緒に何かをするということに一体どういう最小の必要要件があるのか、といったことに興味をもっていたんです。研究を続けてきて、身体性と空間性だと考えるようになりました。

まずは自分の運動的な主体性があり、それが相手にも伝わって、相手に伝わっているということも自分が十分理解できていて、且つ、相手もそれを理解している。人と人が共在感覚を育むために欠かせないのは、こうした概念だろうと仮説をもっています。

逆にいうと最低限それらを満たすことができれば、共在感覚は十分に担保できることになります。仮にロボットやデバイスを使うことでも、この条件を満たしていたら十分に相手と一緒にいる感覚をもてるだろうし、必ずしもメタバースのような膨大な情報量がなくても親しい間柄だったらできるだろう、と。

コロナ禍となった今はこの感覚に気づいた方も多くいると思いますが、オンラインでコミュニケーションを行うと、何かが足りないんですね。本当に便利だし、十分に情報伝達の役割を果たしてくれる一方で、いまひとつ盛り上がりが足りない、あるいは、その時は盛り上がるのに終わった後はなぜかもの悲しさがある。これはまさに共在感覚の欠如と言えるでしょう。身体性と空間性という問題に帰着するわけです。

昔ながらの心理学における課題と同じでもあるのですが、自分の空間性と身体性をどう理解するのか。ニッチであり、あまりみんなが取り組む分野でもないのですが、パナソニックとの共同研究でできるということであれば、私が力になれることもあるだろうと思いました。

インタビュー風景

(鈴木健嗣さん)

西村さん:実際にやってみていかがでしたか。

鈴木さん:結果としては、かなり想定通りになりました。想定していたことを明らかにできたこと自体、大きな意味があったと思います。工夫次第ではまだまだ広げられるでしょうし、まずは我々の考える共在感覚の定義そのものの蓋然性が高くなったと言えます。

我々の研究は、「言われてみればそらそうだ」ということばかりなんですよね。当たり前のようなことを研究しているわけなんですが、でもきちんと示されるまで、違うことだっていっぱいあります。ある意味ではいつも既存のバイアスと戦ってもいるとも言える。
例えば、コミュニケーションとして職場などでも「顔を合わせる」とか「顔を見合う」と言いますが、角度ゼロ度の真正面で見合っている時間は実はあまりありません。しかしzoomのような空間では角度ゼロ度で見合う時間が長くあり、おそらくそれが負荷にもなっていると思います。一般空間では、みんな少しずらしていて、真正面だと思っても実際には角度にして15度くらいが限界でしょう。あまり、きつく感じる角度を考えながら人と顔を向き合わせてる人もいないとは思いますが(笑)。

西村さん:確かに(笑)。

鈴木さん:ただそうした、一緒にいて盛り上がったり、それで気持ちがつながったり共感したりということにおいて、工学系の学問が貢献できることは計測と通信の技術です。せっかく他の分野に提供できる技術を活かせるのなら、パナソニックさんとの共同研究は面白そうだと思いました。

インタビュー風景

動作とは、意思をもち意図を示すアクション

西村さん:最初にお持ちだった仮説のように、共在感覚のために最小の要件にすること、つまりあまりたくさん盛り込まない、ということも実践されたと思います。できることを出来るだけ引き算して、最終的にここだけは残しておかないといけない、と設計されたcocoropaの機能などについて教えてください。

鈴木さん:一番残しておきたいものはやはり運動でした。動作は、人の意図を反映しているものだからです。近年、厚労省とかでも高齢者の見守りなどをIT補助金などで進めていますが、見守りという考え方はある意味の監視でもあって、監視だと共在感覚は一方にしかありません。そのため、必ず自らアクションすることが必要です。さらに、アクションを起こしたことを伝えるべき相手は、自分自身です。人間は体が動くことによって、体性感覚が全て脳に返ってくるので、自分の意志が動作で理解できることになります。伸ばした手の感覚が、自分の意思を反映し、相手に対する意図になるんですね。

西村さん:動くということ自体が本当に必要で、とにかく動いてもらわないとだめだったんですね。

鈴木さん:動くことが全てですね。私は足の研究もしますけど、でも手を伸ばすっていうことが好きでもあります。歌人の俵万智さんの作品に、まだ小さな赤ちゃんが一生懸命お人形の鼻をつかもうとする姿を「生きるとは手をのばすこと」と歌った作品があって、私はあれが大好きです。赤ちゃんは、世界を知るための手段として手を伸ばしているんですね。

私は普段、発達の研究もしているのですが、寝たきりなど、何らかの理由で自分で手を伸ばすことが難しい子はどうしても言葉の発達にも遅れてしまいがちです。手を伸ばして世界に触れようとすること自体が、まさに生きる意思を強める行為なんです。

そのためcocoropaでも、わざわざ触ってもらおうと思いました。触るって簡単な行為かもしれませんけど、でも、もしも何の機能もないロボットに「毎日1回これに触って」と言ったところで普通はやらないでしょう。一方でスマホを扱うのはみんな大好きですよね。それは自分のアクションに期待しているフィードバックが返ってくるからだと言える。そこでcocoropaにも、押すことにフィードバックを付けることにしたんです。

人が好むフィードバックには2種類あって、良い意味で期待を裏切る新規性のフィードバック、あるいは逆に、常に同じフィードバックをすること。今回はいつも同じ手を上げ下げする、後者の動きをフィードバックにしました。

西村さん:人に動きを起こさせる理由が、返ってくるフィードバック、ということですね。

鈴木さん:そうです。あともうひとつ、とても大事にしているのは物理法則です。例えば、壁の電気のスイッチを入れたら上の蛍光灯が光る、これはもう物理法則のままなんですけど、もしも奈良時代に行ってこれをやって見せたら、因果関係を理解するのに相当時間が掛かるでしょう。触って作用する場所と実際に電気が作用する場所が違うわけで、人間が理解できるのは、自分が作用したところに対して動くものですから。ロボットに触る場合も、触ったらその場所で、目と耳と手で物理系の作用がちゃんと返ってくることを期待するんです。

そういう意味では、私たちは日常的に、子どもから高齢者まで毎日、物理法則を学んでいるとも言えますね。

西村さん:自然に学習しているんですね。だからこそ普段よく接している現象を、ロボットがする動きとして与えてあげると、それをすぐに理解できて、コミュニケーションに違和感がなくなる、と。

鈴木さん:そうです。違和感がないこと、それを認知負荷と呼んでいますが、コミュニケーションのために意図を伝達したい時に、それ以外に認知負荷を掛けちゃいけないんですね。どうしてもコミュニケーションはそれだけで負荷が掛かるものでもあるので、それ以外の負荷をかけないように準備しておいてあげる、ということですね。

インタビュー風景

日常にいるロボットに抱く感情とは

西村さん:一般的にロボットというと、むしろ逆に認知負荷が大きくて、見たことないような姿のちょっと変わったものをイメージすると思うんですが、今回それはやりすぎというか、目的に対して負荷が大きいと思われたわけですね。

鈴木さん:そうですね。あと人間は、よくわからないものでも勝手に擬人化して、勝手にわかるように解釈できるはずなんです。心理現象の一種で、視覚や聴覚から受けた情報を以前から知っているものに繋げるパレイドリア現象とかもありますが、たとえばコンセントの穴が顔の表情に見えたり、真ん中に一個ある丸を一つ目の生き物に例えたりします。要するに、変なロボットでも人間は適用できるので、ちゃんと使えるだろうと思いました。

西村さん:面白いですね。cocoropaのユーザーたちは、これをかわいいと捉えているのか、どういう風に捉えているのか興味深いです。

鈴木さん:多分それは、一緒にcocoropaを使っている相手との関係性を聞くことに等しいかもしれません。極論で言えば、人生は、いつ・誰と・どこで・何をしているかっていうことだけで、それ以外のことに人間はあまり興味がないはずですから。もしも「cocoropaがかわいいですか?」と問われたとき、相手先の人との関係性が良ければかわいらしく見えるし、本音では別にコミュニケーションしたくないんだけど相手の生存確認のためにやりとりしているという人の場合は、結局、その感覚と同じ程度の思いのはずです。cocoropa本体はかわいくて大好きだけどやり取り自体は嫌、という矛盾はあまり起きないでしょうね。

西村さん:なるほど。ではもしも上司のための出社報告とかに嫌々cocoropaを使ってるとしたら...

鈴木さん:たぶんcocoropaに対して何も感じないでしょうね。

西村さん:では一緒に使う相手が家族や自分の子どもだったら、cocoropaを家族のように感じるかもしれない?

鈴木さん:そうですね。例えば1年くらい遠く離れた娘さんとの挨拶に使っていたとして、cocoropa本体に対しては何も気にせず毎日使っていた場合でも、もしもある日、地震なんかでcocoropaが落ちたり倒れたりしたら「娘に何かあったんじゃないか」とか思ってしまうとか、そういうことはあるかもしれませんね。

西村さん:cocoropaの背後に誰がいるかを知っていることがとても大事なんですね。では相手のことがわからない場合は、コミュニケーションとして機能しないのでしょうか。

鈴木さん:目的によりますね。もしも相手も自分のことを知らない関係性であれば同じように使いやすいかもしれません。例えば、最近はあまり見掛けないかもしれませんが、欧州などの小さいホテルでは芳名帳みたいなノートが閲覧自由に置いてあったりしましたよね。どこの誰かも知らないし、名前だけ見てもその人のことは何もわからないけど、でもここに来たという証を残す単純なコミュニケーションツールであって、自分の名前を見る人も自分をわからないと思えるから書き込めたわけです。片方だけが自分をよく知ってるようなら、快適なやり取りにはなりにくいでしょう。

西村さん:複数名でcocoropaを使う可能性はどうでしょうか?

鈴木さん:家族なら成り立つと思いますよ。誰が押してるかはわからないんだけど、家族の誰かが押してるという前提理解があれば。これは、コミュニケーションというものが、誰から発せられた意思なのかわかることが重要だということに基づいていますね。

極論、人間は人間にしか興味がないはずです。もしもロボットだけに興味があるという人がいるとしたら...まぁいないと思いますけど、そのロボットを好きな他の人もいる、という興味が共有できる日は来るのかもしれませんね。映画や物語の世界ではロボットに恋するような話もあって、それも将来的には十分あり得ることだと思うんですが、それにしてもロボットに人格を完全に投影できるくらいのレベルである必要があると思います。

難しいところなんですけど、車などの乗り物に名前をつけたりして愛情を投影することはあると思うんですが、愛着をもつことと、愛情を込めたコミュニケーションの対象になることは、全くもって別のことです。AIが備わったロボットに一定以上の愛着を示すことはあると思いますが、人を超えて一緒に過ごすかと言ったら、難しいでしょう。

人の命は有限であって、そこに価値があり毎日を一生懸命過ごしてるわけですからね。仮に人間の寿命が1000年あったら、多分進化もしていないと思います。時間が限られてる人間の営みに対して、機械の有限性は非常に曖昧ですよね。そういうものに対して愛玩的以上の感覚をもてるのかと問われたら、私の仮説では無い、とお答えしますね。

インタビュー風景

ロボティクス技術だからこそできること

西村さん:今回のように共同研究であること自体にはどんな良さがあったでしょうか。鈴木先生はベンチャー企業も興されていますし、研究所もあるので、すでに色んな手段が可能だとは思うんですが、今回このテーマで共同研究だった意味とはどんな点でしたか。

鈴木さん:逆に言うと、パナソニックとだったから今回はこうした結果が出せたと思います。研究というものは人の営みなので、結局、誰がやるのか、ということ。他の人とも同じようなコンセプトで研究はできたと思いますけど、それはまた全然違うものができるはずです。

西村さん:ということは、今回Aug Labのコンセプトであったりメンバーの考え方が反映されているということでしょうか?例えばどんなところですか。

鈴木さん:ほぼ全部でしょうね。それが重要な気がしています。むしろ、我々は大学にいて、サイエンティフィックな意義づけを与えることが必要な立場として関わるわけです。色々な観点がある中で、例えば「ビジネスに応用するマネタイズのためには」といった観点に口を出すこともできますが、でもそれはある意味本業じゃないんですよね。大学に求められているのは、単なる権威づけではなく、やはり科学的な貢献なはずです。

なので、今回もこれを論文にするのは共同研究という名だからですね。会社でやる限りそれは必須じゃなくても良いはずですし、大学としてやるべきことは研究論文で、今回この形でできたことは本当に良かったと思います。
ある意味、今回のプロジェクトも100%Aug Labのプロジェクトで良いと思うんです。私はその一部だけに参画させていただいたという位置づけです。私の中でもパナソニックさんから学ぶことはたくさんありました。やはりすごい機動性で、本当に短期間でよくやりましたよ。

西村さん:でも単純に面白いことをやるだけであれば大学である必要もないということになるので、やはりこれを行うことで科学的に一歩前に進むというか、Aug Labがもってきたテーマに何か可能性を感じられたのでしょうか。

鈴木さん:ありました、ありました、十分に。うちのラボもそうなんですけど、基本的に柱は3本です。科学的な貢献があるか、技術的に意味があるか、そして、社会的なチャレンジはあるか。現に私たちもちょうど、病院や介護施設など、なかなか会えない環境の人たちが使える通信にチャレンジしようとしてるところです。

全てのコミュニケーションにおいては、思いったった時が「要で急である」と考えると、「今もしも相手の都合が良ければ元気かどうか聞きたい」っていうことも、私の中では要であり急です。しかし感染症の問題だったり、もしくは離れて暮らす人たちもいるので、そういう人たちに通信でつながれるツールがあると良いと思うんです。

LINEすれば済むっていう話もありますが、個別に話すことや時間を使うこと、あるいは電話を折り返したりはしないまでも、ただ本当に元気でいるかどうか気になることはありますよね。それなのに、そうした時に使えるツールは実は結構限られています。携帯電話をもっていることが普通になった現代ですから、仮に災害があった時なんかでも使えるような、ボタン1個押してボタン1個が返ってくれば生きてる確認になる、そんなツールがあって良いと思うんです。

西村さん:なるほど、そういう意味ではコミュニケーションツールは色々ある方が良いんですね。そして共在感覚を得ることに特化しているツールはまだあまりない、と。

鈴木さん:それにはまだまだ、帯に短し襷に長しでしょうね。

パナソニックが作る、心の拠りどころとは

西村さん:パナソニック側の皆さんは今回、どんなところに面白みを感じていたのでしょうか。

パナソニック安藤:まずは発想です。同じものを双方に持たせるという概念がそもそもこれまでなかったんじゃないでしょうか。学生時代に流行ったミサンガみたいだと感じまして、その瞬間、そういえば以前に上司とそんな会話をしたことがあったと思い出しました。
手首に付けたまま暮らして自然に切れたら願い事が叶うというミサンガを、カップル同士で付けていた昔の学生たちみたいに、付加価値というよりも、心の拠りどころみたいな存在です。離れているときでも気持ちは一緒にいる、と感じ合えるものを作りたいと話していたことがあったんです。

しかも結果的に、とてもミニマムな構成で、双方が同じものを持ちながら、且つお互いに触れるというインタラクションができる。そういうものを作れたことがすごく良かったですし、事業的な観点で見ても素晴らしい取り組みだったと思います。

パナソニック今岡:最初に案が出てきた時、イメージですごくいけそうな気がするのに、いざ自分で説明しようとすると「ただ腕を上げるだけです」と簡単に言ってしまうところがあって、要は、私の頭の中では一体どういうものなのかをモヤモヤと考えていたんだと思うんです。でもその中で直感的に、やっぱりこれが良さそうと感じたのは、実際に使ってもらった人たちの感想を聞いたときでした。先ほど鈴木先生がおっしゃっていたように、まさに科学的な意味づけを実感したということだと思います。

ある意味では、当たり前かもしれないようなコミュニケーションを、きちんと実現させることができた体験は、自分にとっても良かったと感じています。

パナソニック鈴木:私自身は、もう開発者の視点というか、実際に手を動かして作ったりしたので、ちゃんと動いてくれるかどうかといったところが心配でもありました。でも実際cocoropaを使ってみた方々がかなり楽しんでくれた様子とか、あるいは、毎日cocoropaの頭を押すというシンプルな行動にお互いのつながりと安心感があったと言う方なんかもいて、非常に可能性を感じるものができたと思いました。
先生が仰っていたように、介護施設や病院など、なかなかご家族に会えないような方たちにも使っていただいて、共在感覚を感じてもらえるものになったらいいなと思います。

インタビュー風景

エンパシーが生み出すマルがある

西村さん:今回は、共在感覚だけに特化したのがすごく特徴的でもありましたよね。さまざまな感情を含ませるとか、メッセージを送る機能なんかもできると思うんですけど、そういうことは別の話にした。cocoropaの方向性としては今後、より最小化していくのでしょうか?

鈴木さん:そうですね。cocoropaは土台という感じでもありますが、目標はもう共感だけです。共在感覚がないと共感性は生まれませんので、相手に共感すること自体が非常に大事で、これをやろうとしているに他なりません。相手のことを自分事として考えられて、それに対してなんらかのアクションができる。同情ではなく、エンパシーの共感ですね。

もしも何か今後につながることがあるとしたら、相手に共感をもつための土台として活かせるツールなのではないでしょうか。実際に会っていないとなかなか共感が難しいわけですが、そこを補完したりとか強化したりすることはできるんじゃないかな。人の共感性を育むツールとして発展できたらいいですね。

西村さん:なるほど。人と人が実際会った時に、コミュニケーションっぽいものがなくてもずっと一緒にいれるようなことに近い感覚でしょうか?

鈴木さん:まさにそうです。リビングの中で家族がそれぞれ何をしても気にしないけど、一緒にはいるという感覚は重要ですよね。何もしないでも心地良い空間になれる関係性は強いともいえます。

そういうことが共在感覚の理想系だとすると、相手に対して共感できてることに他ならない。コミュニケーションはそれの探り合いであって、みんなが負荷を感じている理由もそこにあるかもしれませんね。

西村さん:それはまさに「未来の家」ですね。ハコとしての家というより、シチュエーションとしての家という意味ですが。

鈴木さん:基本的には相対性が全て、ということだと思います。アインシュタインの相対性理論ではなく、ここでいう相対性はガリレオの相対性原理、いわゆる、相対速度のことです。
自分が止まってれば相手が動いているかどうかがわかるけど、自分が同じ速度で動いていたらその人も止まって見える、これが相対性原理ですね。私たちは、あらゆる現象は観測者によって主観的に認識された現象である、と認めなきゃいけないと思います。絶対空間の中で定義することは、工学的に定義しやすいだけであって、物理現象も全て、実は観測者による主観的な認識事象が全てだったんだ、と。

さらに、物理学的には観測者の視点のみの運動を確定させて定義していて、cocoropaもまさにそうなんです。実際にcocoropaを使っている人たちだけが、このコミュニケーションを規定できるわけですから。

私は物理の中でも、物理に情報学が加わって、人の意思を伝えるという主体性が学問として成り立つのが好きなんです。物理現象として、cocoropaでいえば、両手上げるっていうのがブレイクスルーだったと思いますよ。両手を上げることでマルの形になるのを見た時、最小限の運動でいろんなメッセージが送れるじゃないか!と思いました。個人的には、マルがなんとも絶妙だと思っています。使っている人はcocoropaの向こうにいるコミュニケーション相手を見ているわけですから、バツではなくマルという返事が返ってくるコミュニケーションは嬉しく感じるものです。

人と人をつなぐことは、人々の未来をつなぐことになります。コミュニケーションにより、孤独や寂しさを感じていたり、不安なことを抱えていたりする人々に対して、少しでも未来への希望を与える機会を増やすための取り組みが、マルが返ってくるコミュニケーションの形なのだと信じています。

西村さん:なるほど、大切な相手からマルが返ってくるコミュニケーション、良いですね。鈴木先生、今日はありがとうございました。