テクノロジーでWell-beingを実現するために“わたしたち”がすべきこと

(「Aug Lab」特別対談・前編)
テクノロジーでWell-beingを実現するために“わたしたち”がすべきこと テクノロジーでWell-beingを実現するために“わたしたち”がすべきこと

語り手(左): ドミニク・チェン氏(早稲田大学文化構想学部 准教授) 聞き手(右):安藤健 氏「Aug Lab」リーダー (パナソニック株式会社マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室)

パナソニックでは、新たな取り組み領域として人そのものの能力・感性を高めるための「Augmentation(自己拡張)」に関する取組みを始めている。これまで培ってきたロボティクス技術を従来の活用法である自動化・高度化だけを目的とせず、社内外さまざまな方々との共創を通じ「新しい何か」を生み出すことを目指している。今回は、テクノロジーと人間の関係性を研究し続ける早稲田大学文化構想学部准教授のドミニク・チェン氏による特別対談。前編では、監訳書『ウェルビーイングの設計論』、そして近著の『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』の内容などを交えながら「Well-beingとは何か」、個人を考える上で欠かせない“関係性”について語ってもらった。

安藤:改めてドミニクさんの活動概要をご説明いただけますか?

チェン:私の研究をシンプルに表現すると「ウェルビーイングとテクノロジーの掛け合わせ」です。2016年秋から取り組んでいるプロジェクト「日本的な文脈でのウェルビーイングの捉え方」を考えるうえで、3年前に出版した監訳書が『ウェルビーイングの設計論』です。

対談風景

ウェルビーイングに関する理論をどのようにテクノロジーにマッチさせるかを考えるうえで、翻訳しながらなんとなく違和感がありました。その理由はどこにあるのか。答えはとてもシンプルで、西洋的な物の考え方が中心となって組み立てられている理論であったことでした。普段、私たちが生活している日本にはこの理論をそっくりそのままインポートするのは難しいのではないかと感じ、日本的な文脈のウェルビーイングを調べる中で考えて至った結論。それは、“わたし”のウェルビーイングではなく、“わたしたちのウェルビーイング”でした。人と人との関係性を起点としたウェルビーイング。私たちは根底では個人として把握されているけれど、その認識がうまく行かないケースもあるよね、という話です。人々を個として把握するだけでなく、相互の関係性がどうなっているのかを見なければ、社会のウェルビーイングを底上げするところまで達しないのではと思い始めました。これは、個人的なウェルビーイングの否定ではなく、「個人のウェルビーイング」があり、同時に「関係性のウェルビーイング」も共存しているという考え方です。

安藤:西洋的なものに起因する違和感。そのアウトプットとして出てきたのが“わたし”と“わたしたち”だったのですね。具体的には日本的なWell-beingをどのように導き出していったのですか?

チェン:普通ウェルビーイングの研究というのは、大きな理論がたくさんあって、それを一つずつ測定したり、別の理論でやってみたり、新たな理論を作ってみるなど、学術研究の中で切磋琢磨しています。一般書としてよく見かける「幸せになる3つの法則」のようなものは、研究について一般の方に知ってもらうにはとてもいい機会だと思います。でもそれって、ある種マニュアル化されているものですよね。そこに、どうしても違和感を覚えます。アメリカでうまく説明がついた理論が、日本、そして世界各地でマニュアル化されバイブル化されるのは、あまりにも受動的な状況ではないかと感じました。「日本的なウェルビーイングは何か」と考えるときに、文化心理学の研究においても国や地域によっては個人主義と集団主義それぞれの傾向が指摘されています。それでは、日本に住んでいる人たちがどのようにウェルビーイングを自己定義するのか。ある種民俗学的な、人類学的なアプローチでたくさんのサンプルを集めました。

安藤:具体的にどのようなアプローチ、サンプルだったのでしょうか?

対談風景

チェン:主に「あなたのウェルビーイングが3つの要素に支えられているとしたらそれは何ですか?」という質問を、1300人に聞きました。回答の中から、自己完結する要素、他者との関係性の要素、そして社会的な要素に分類したところ、関係性の要素が因子として含まれるものが6割ほどありました。回答してくださった人たちと話をしていく中で感じたのは、年齢を重ねるとその3つのバランスが取れてくるということでした。若い人は例えば、食事、恋愛、寝るといったような基本欲求が多い。とてもシンプルなんです。でもその中に、家族の健康や友達と過ごす時間、自分の外にある因子もある。この自己定義が、その人が置かれている状況によって変化していくということは、とてもおもしろく、重要だと思いました。

安藤:世代で変化していくのは興味深いですね。実感ともあっている気もします。

チェン:ものの価値観は人によって違うものなので、ウェルビーイングの在り方も多様だし、相互に影響していくということですね。

安藤:一方で最近の若い人には、SNSでの承認欲求にも見られるように、自分以外の目を気にする傾向にあるとも感じていますが、いかがでしょうか?

チェン:それは大学の授業などでも強く実感しています。ウェルビーイングについて話すうえで、「最近、一番辛いことはなんですか?」という質問をベースにした、ペインマッピングというワークを行います。短時間でそのテーマから連想することを、思いつく限り書き出してもらいます。
これは毎年、必ず出てくるのですが、一番辛いことに「SNSが辛い」という声が本当に多くあげられています。ある講義の期末テストでは、「何か困難を抱えている当事者として、あなたが何かよりよく立ち向かえるための新しいメディアを構想してください」という課題を出しますが、多くの学生がSNSを改造するアイデアを論じてくれます。今年は、リツイートやいいねのないSNSというのが多いですね。このあたりは、「Aug lab」の問題意識に密接に関わってくる気がしています。承認欲求が気になる、深まっている世代には、ユーザーである彼ら自身が本当にそれを望んでいるのかどうかを疑い始めています。

安藤:メディアそのものの本質的な位置付けは昔から変わっていないけれど、いろいろな人の欲求というか、広告というビジネスモデルの影響を受けることで、本筋でないところに向かっているみたいな話ですね。

対談風景

チェン:『ウェルビーイングの設計論』の冒頭で、エンジニアたちがIT企業に入社して実現したいのは、自分たちが金持ちになることよりも、社会の役に立ちたいことではないか、という問いが書かれています。実際、アメリカの大手IT企業の従業員たちは、自分たちの会社がやっていることに反発する抗議行動を実施したりしている。社会的に善いことのためにテクノロジーを作りたいというのは、ものづくりをしているエンジニアたちの自然な欲求のはずです。アメリカではそういう欲求に応えるべく、法制度として受け止める受け皿も登場しています。倫理的なテクノロジー開発を目指すNPOの「Open AI」の設立などがその実例ですね。アメリカはテクノロジーを巡るさまざまな問題の震源地でもあるとともに、問題に対する処方箋も多く生まれるのが面白いところだと思っています。

安藤:なるほど。話をもう一度“わたしたち”に戻させて頂いて、“わたし”のウェルビーイングと“わたしたち”のウェルビーイングはどのように繋がっているのでしょうか?

チェン:はい、まず前提の話として、個人の在り方を考えるうえで、関係性の側面を外すことはそもそもできないと考えています。個であることと関係性をそれぞれ別々の事象としてみるのではなく、他者との関係性を含めて考えないと個も理解できないのではないか。今年3月に刊行した『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』も、この考え方が出発点となっています。そして、個と関係性の次元は、国や地域によって異なるのです。

安藤:ユニバーサルな部分と、文化差があるわけですね。

チェン:研究者同士の論点になるのはそこですね。私は、2階建ての1階部分がユニバーサルな部分、いわゆるハードサイエンスの世界があり、2階部分は、文化差の部分があると考えています。どちらか一方だけを見るのではなく、双方を理解した上で、ウェルビーイングと照らし合わせて研究していきたいですね。

安藤:個、つまり「わたし」の中にもいろんな「わたし」がいるケースもありますよね。色々なコミュニティに所属したり、アバターみたいなサイバー世界ものもある。いろんな「わたし」がいて、分人化されている。ドミニクさんが表現している「わたし」とは、どの様なものになりますか?

チェン:近代以降、個はそれ以上分解できない最小単位として考えられてきました。しかし、一人の「私」の中には実際、さまざまな「わたし」が同居しています。多様な「わたし」の在り方をひとつに統合しようとする抑圧が強く働くのが近代社会です。そこで、インターネットがもたらした恩恵のひとつに、複数の私を統合せずに、そのまま活かせるようになったという側面があると思います。
昔、自分の会社で、ある匿名掲示板を作ったことがあります。つらい経験やへこんだ話を誰かが書き込むと、それを見た別の誰かが励ましのメッセージを送る。励ました人にはありがとうのポイントがクリックした回数分送られるシステムなのですが、そのポイントは何かに還元できるわけではありません。ただ、「おかげさまで自分のへこみが成仏しました」とお礼のメッセージが届くだけ。特に面白かったのが、「荒らし」行為を行っていたユーザーが、他のユーザーからのなぐさめのメッセージによって更生して、コミュニティから愛される人に変化した時でした。普段は尖がっている人もこの掲示板の中だと、見知らぬ人に対して優しく振る舞うようになるという現象を目にしたプロジェクトでした。

安藤:それって、今のSNSの「いいね」みたいな感覚と割と近いようなストラクチャーだと感じるのですが、違いはどこにあるのですか?

チェン:大きな違いは、ある苦痛を抱えている状況に対する励ましに対して、クリック数というかたちで直接感謝の度合いを表現している点ですね。また、具体的なプロフィールもなく、相手の素性を知ることはできない匿名性。そして、扱うものは人々の悩みというデリケートなものなので、成仏した悩みは他の人からは検索できないという仕組みになっています。だからこそ、プライベートなことも吐露できる。一般的なSNSでは、個人のマインドが前面に出てしまいます。一方、個人の属性が目に見えないコミュニティだからこそ、現実の自分とは違う自分が出てきます。

安藤:なるほど。それはおもしろい掲示板ですね。

チェン:10年以上前に手がけたもので今はサービス終了しているのですが、いつか復活させたいとも思っています。

 後編に続く