「匠の眼」をデジタル化
― たった一本の波形が明かす金型の真実
金型寿命を延ばし、失われゆく技術を未来へつなぐ

「匠の眼」をデジタル化 ― たった一本の波形が明かす金型の真実 金型寿命を延ばし、失われゆく技術を未来へつなぐ
受賞者+受賞部門
野尻 尚紀さん(写真)/
濱田 秀明さん /
齋藤 光央さん

パナソニックホールディングス株式会社 
MI本部 生産技術研究所

岸本 悟さん

パナソニック プロダクションエンジニアリング株式会社

モノづくりに欠かせないプレス加工は、製品の小型・薄型化に伴い、高精度で加工が難しい材料への対応が求められており、金型のメンテナンスにも高い技能が必要とされます。しかし、プレス加工中は金型と加工対象となる材料(ワーク)を見ることができず、適切な加工やメンテナンスを行うには、ベテラン作業者の経験と勘に頼るしかありませんでした。ベテランから技能が引き継がれないと、作れなくなる製品が次々に出てきてしまう――こうした危機感から、生産現場で加工状態への理解と技能伝承を促進するために、リアルタイムで加工中の金型内部の状態を予測するシステムの開発がスタート。金型の加工を最小限に抑えるため、荷重センサのみでセンシングを行い、取得した波形から加工状態の解明に成功しました。パナソニックのモノづくり力を大きく向上させたチームに話を伺いました。

PROBLEM

人によらず、金型の品質を高めるために

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近年デバイスが小型化し、打ち抜き加工でも薄く、硬い材料が使用され、打ち抜くサイズも非常に細かな形状が要求されるようになってきました。パンチとダイのすき間寸法であるクリアランスは、加工品質や工具の寿命に影響を与える重要な要素の一つで、ワークによっては工具の形状や金型の組み立てにマイクロメートル単位の精度が求められます。金型の内部が見えないことから、従来のメンテナンスは、ベテラン作業者の経験や勘に頼らざるを得ませんでした。


開発チームは、加工中の金型の状態をリアルタイムで予測し、客観的な数値などの指標と照合することができれば、経験が浅くとも金型の組み立ての品質が把握できるようになるのではと考えました。開発チームは荷重センサに的を絞り、はじき出される一本の波形から加工のメカニズムを分析し、加工の状態をリアルタイムで予測するシステムの開発に乗り出したのです。

INTERVIEW

Chap.1

不明な点が多かった打ち抜きのメカニズム
荷重センサの波形から加工状態を読み解く

Q 今回開発した状態予測システムの特徴は?
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野尻さん: 今まで見えなかった加工中の金型内部の状態を見える化した点です。金型内部に設置された荷重センサの数値から、リアルタイムで異常を検知し、工具のクリアランスや摩耗の偏り、材料の厚みと硬さを予測することで実現できました。これにより、経験の有無によらず、作業者が組み立てた金型の状態を正確に把握することが可能となり、加工精度の向上に寄与します。

またリアルタイムで工具の状態をモニタリングすることで、適切な時期に保全を行えるようになり、生産性の向上とメンテナンス費用の低減にも貢献します。これまで言語化が難しかった金型の状態を客観的に把握できるようになり、技術の伝承をスピードアップすることが可能になりました。

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濱田さん: 打ち抜き加工は、ダイとパンチは適切なクリアランスを確保して据え付ける必要があります。打ち抜き加工中は金型の内部が見えず、どのようなメカニズムで打ち抜きが行われているのか正確に把握できていませんでした。生産するデバイスが小型になればなるほど、打ち抜き加工にも高い精度が求められるようになり、金型のセッティングも非常に精緻に行わなければ、そもそも良品が生産できない。

しかし、ボルトの締め方一つでも、クリアランスに2マイクロメートルのズレが起こりうることが、検証で分かっています。ベテランがセッティングした金型は2カ月間も問題がないのに、経験が浅い作業者が組み立てるとその日のうちにメンテナンスが必要になるケースもあると聞きます。ベテラン作業者でなければ、工具の寿命が極端に短くなってしまっているのです。これでは歩留まりが悪くなり、保全費用も高くつきます。さらに、作業の属人化が進むとベテランの引退とともに、生産すらできなくなってしまう恐れがありました。この課題を解決するには、加工中に金型の内部で何が起こっているのか、どういう状態なのかを、経験によらず理解できるシステムが必要だったのです。

Q 開発がスタートしたきっかけは?

野尻さん: もともとはナノ磁性体を用いたモーターのコアの開発を行っており、セッティングの仕方で、金型の精度が変わってしまい、高額な工具が破損したり、寿命が短くなってしまうということを自分たちも経験して、熟練度で結果が大きくばらつくと実感したのです。その後、さまざまな現場の声を聞くと、難しい打ち抜きにチャレンジしている工程で同じような悩みを抱えていることが分かりました。


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齋藤さん: 金型と工具、ワークの状態を知るには、どんな情報があればよいのか、まず頭を悩ませました。そこで着目したのが、加工に直接関係するパンチにかかる荷重でした。パンチにセンサを取り付けることで、打ち抜き開始から打ち抜き時、打ち抜き完了までの、まさに加工が行われる瞬間の加工点の荷重を観測します。


野尻さん: 開発当初はAIによって、波形から状態異常を検知するシステムを構想していたのですが、さまざまな状態でのデータ、それも複数の状態値が組み合わさった大量のデータを事前に準備して学習させる必要があり、学習が非常に困難でした。現場で学習させる必要がなく、実験室のデータを元にして、生産中に学習することで、複雑でさまざまな状態が組み合わさった加工中の状態を予測する方法を探しました。

Chap.2

発想の転換がもたらした予測システム
精度向上のカギは精緻なモデル

Q AIに頼らないアルゴリズムをどのように作り上げましたか?

野尻さん: 基本的な考え方としては、現実(Physical)の状態を仮想空間(Cyber)上でも常に再現し続けるCyber Physical System(CPS)を構成することで、仮想空間上のデータを参照して、現実の状態を予測するというものです。要するに、クリアランスや摩耗状態などの状態値が設定された仮想空間上の波形と荷重センサから出力される実際の波形が一致すれば、仮想空間での状態値と同じ状態だと判断できるということです。重要なのは加工の状態値から実測レベルの波形を生成できるかどうかです。状態が正確に分かっている時の荷重波形を実験室の理想環境で取得して、シミュレーションと組み合わせたアルゴリズムに組み込む必要があるのです。


濱田さん: 全ての基準となる基礎データが必要ですが、まずは打ち抜き加工のメカニズムを正確に把握し、波形のどこで何が起こっているのかを理解しなければなりません。いろいろなパラメータを変えて、波形の変化した部分のうち、プロセス的に意味のある変化や特徴部分を明らかにしていきました。そうしてそろえた基礎データの状態値をシミュレーション上で変更して、さらにCPS上で使用する波形ライブラリを拡充させていきました。


Q 実用的なシステムにはどのように?

岸本さん: 作り上げたモデルを核にしたCPSをもとにソフトウエアを作成しています。高速プレスは、1秒間に30ショットというスピードで加工が行われます。リアルタイムで状態を予測し続けるには演算量を削減する必要がありました。そこで、クリアランスや工具の摩耗量などのパラメータがどのように変化をしていくのかを考慮したアルゴリズムを設計しました。パラメータごとの特徴をもとに、状態値を絞り込むことで演算量を削減し、高速ショットでのリアルタイム予測を実現しています。

MESSAGE

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野尻さん: 私が所属する生産技術研究所は、長らく製造技術を磨いてきた方が多く、ハードをベースに考える方が多い中、私はシミュレーションやソフトウエア開発を専門にしてきました。今回は濱田さんのようにハードへの知識と経験が豊富な方と、うまくソフトウエアの考え方を組み合わせて開発が進められたという点でも部署として大きな財産になったのではないかと思っています。今後も全社のものづくりに貢献していきたいです。

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齋藤さん: 現場に導入してみると、予想以上に技術伝承・人材育成に効果があることが分かってきました。現場の皆さんはデータがあると、自分たちでもそれを分析して活用できます。波形から加工の状態が分かると、経験が浅くても、組み立ての良しあしが分かる。これは今までの勘や経験に頼っていたときよりも、早く技能伝承につながるのではないかという感触をつかめました。
今回のようにセンシングしてデータ化することで、長年の生産の課題について解決につなげることができるはずだと期待しています。

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濱田さん: 幅広い現場に適用するという最終的な目標を考えると、中身をしっかり理解して、自分たちで泥臭くモデルを作成していくことが、実は一番の近道だと気付きました。プレス加工に限らず、モノづくりの現場では目で見えない、確認できないという工程が非常にたくさんあるので、今回得た知見をさまざまな現場に応用していきたいと思っています。

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岸本さん: REAL-シミュレーションは極端な条件や、現実にはなかなか実験できないような条件を検討することができますが、それでもやはり実際に行う実験にしかできないこともある。今回はシミュレーション、アルゴリズム、現実での実験と三つをうまく組み合わせたからこそ、原理原則の理解が深まり、高精度な状態予測システムを作り上げることができたと思っています。

FUTURE

インタビュー画像 野尻さん、岸本さん、濱田さん、齋藤さん

今回開発したシステムはすでに、彦根・亀岡の工場に導入されています。また、国内外の複数の工場への導入も予定されており、広がりを見せています。広く展開し、パナソニックグループ全体の品質向上・技術伝承促進のために、今回の技術を一般化し、さまざまな機械加工に対応するCPSの構築を目指して開発を続けていきます。


*所属・内容等は取材当時(2025年4月)のものです。