AIモデルの「見落とし」に着目
高精度な物体検出で多現場展開を加速

AIモデルの「見落とし」に着目 高精度な物体検出で多現場展開を加速
シニアリードエンジニア
中村 譲

パナソニック ホールディングス株式会社 
DX・CPS本部 デジタル・AI技術センター

既存環境で学習させたAIモデルを他の環境に展開する際、環境特性の違いによる精度低下や、それに伴う学習データの構築がボトルネックになっていました。こうした課題を解決すべく、中村さんは、物体検出向けに設計された能動ドメイン適応*という世界初の手法を確立させ、見え方の異なる環境に適応できる高精度なAIモデルの開発に成功しました。

*能動ドメイン適応:見え方の異なる環境(ドメイン)下において、学習に効果的な少量のデータを選定する手法。

PROBLEM

AIが苦手な「見え方の差」を新手法で解決

既存環境で学習させた画像認識AIを他の環境で展開しようとした場合、見え方の違いにより認識精度が低下するという課題がありました。例えば、カメラの特性や撮影場所の違い、撮影時の天候や時間帯の変化などの要因により、新しい環境ではAIモデルが上手く認識できなくなることが起こります。従来は環境ごとに大量のデータを収集して新たに正解データであるラベル付けをせざるを得ず、データ構築に要する工数とコストの増加が事業への展開を阻んでいました。


そこで認識精度を担保したうえで、データ構築コストを低減できる能動ドメイン適応という新手法に着目。当時まだ学術界でも前例がない研究テーマであったことから、AIモデル開発に向けて一から仮説、検証を繰り返し、安定したプロセスを構築する必要がありました。

INTERVIEW

Chap.1

AIが見落としたデータをいかに選定するか

Q 今回開発した物体検出向け能動ドメイン適応の特徴点とは?
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中村さん: 新しい環境ごとの収集データから、わずか5%のラベル付けだけで全データをラベル付けした場合と同等精度の物体検出を実現しました。これまで課題となっていた天候や時間帯の変化などによる見え方の差に依存せず、さまざまな環境に展開可能な汎用性の高い画像認識AIと言えます。

Q 今回の研究テーマはいつから開発に着手を?

中村さん: 始まりは2022年の秋です。本格的にAI技術研究を始めたのは2021年からで、1日でも早く技術を高めようと、石井さんがチームリーダーを務める研究グループREAL-AI*に参画しました。REAL-AIでの活動に触発され、数年のうちに必ずトップレベルの国際学会で論文採択を果たすという目標を設定していました。入社以来長らくエンジニア畑だった私が、国内研究会、次に採択難易度の高い国際学会と階段を上るように一段ずつ着実にステップアップをできたのは、時に厳しく時に背中を押してくれた石井さんのおかげです。

*REAL-AI:先端技術の素早い事業展開と価値創出を行うトップ人材を育成して、パナソニックグループの先端AI研究開発を牽引するべく、グループ横断で組織された社内研究グループ。若手からエキスパートまで多くのメンバーがトップカンファレンスへ挑戦し、これまで多数の研究が採択されている。

Q 研究過程でターニングポイントにつながったことは?
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物体検出向け能動ドメイン適応の枠組みは固まりつつあったものの、肝になるのはデータの選定方法の改善にあると考え、地道に筋道を立てて分析を行いました。現状の手法は、学習に有効なデータを効果的に選定できていないため、AIモデルによる疑似ラベルの推定精度が低下していることが分かりました。

認識エラーの内訳を細かく分析した結果、モデルが誤って学習に有効なデータを見落としているケースが多いことが判明しました。さらに突き詰めると、こうしたデータの見落としは見え方の異なる環境下で特に顕著となって現れ、精度低下の支配的要因であることを突き止めました。

Chap.2

最難関国際学会で快挙、新規性が認められる

Q 「見落としやすいデータを選定する」、どのような手法でアプローチを?
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中村さん: 画像認識AIの物体検出では前例がない事例だけに、他分野の知見からも含め幅広く調査していきました。そんなとき、ロボティクス分野でAIの予測を内省する技術があることを見つけました。安全性に問題のある挙動を示そうとする前にモデルが予測をして制御を止めるというフェイルセーフの考え方です。ここからヒントを得て、見落としが多そうな物体を推定して学習するネットワークを新たに開発しました。この予測ネットワークによって、見落としそうなデータを的確に選定してラベル付けする手法をついに確立できました。

Q CVPR*でHighlight論文に選出された時の率直な感想を教えてください。
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中村さん: 採択だけでも素晴らしいのに、Highlight論文に選出されるとは全く予想していませんでした。1次査読では査読者3人のうち1人が不採択を意味する「weak reject」、圧倒的に不利な状況から挽回するには、この査読者からの評価を上げるしか道はないと徹底的に戦略を練りました。要求された検証や査読対応にあてられる期間はわずか1週間。クラウド計算システムや実験管理ツールを活用することで効率的に対応ができ、結果、狙い通り査読者の評価を引き上げることに成功しました。

*CVPR(Conference on Computer Vision and Pattern Recognition):画像、映像に関わるAI(人工知能)技術研究のトップカンファレンス。2024年は約1万件の投稿から2719件(23.6%)が採択された。中村さんの論文は特に革新的であると認められた約2.8%のHighlight論文に選出された。

Q 「多様な挑戦の機会」があるパナソニックグループだからこそ人が育つのでしょうか?
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石井さん: 思い返せば、最初の上司は働きながら大学院で博士号を取得した根っからの研究者肌で、事業貢献と研究を常に大切にされておられました。その上司が、事業貢献を当然意識しながらも「学会発表もどんどんしなさい」と背中を押してくださったことが現在の立場につながっています。AIのプロフェッショナルという立場で社外の専門家やさまざまな事業会社と連携しながら研究開発や研究アドバイザとして指名をしていただいており、研究に励めば励むほど多岐にわたる事業領域で技術を活かせる機会が増える、それがパナソニックグループで働く醍醐味かと思います。

中村さん: 入社2年目のころ、当社の主力商品の一つである住宅設備機器の設計に抜擢されました。経験が少ないだけに幾度も壁にぶち当たりましたが、ミッションを達成できたのは周囲からのフォローのおかげでした。私が人材育成で大切にしているのは、「任せて任さず」という創業者の言葉です。成長を最大化させるために、相手を尊重しつつも観察しながら常に接し方や言葉の掛け方を考えています。駆け出しの新人に大きな挑戦の機会を与えてもらえたから今の自分がある。今度は私が若手にチャンスを与え成長を促す番だと考えています。

MESSAGE

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中村さん: 今回の開発を振り返ると、大きな分岐点が二つありました。一つは論文投稿締め切りの1カ月前に研究テーマの新規性につながる見落とされやすいデータに着目した時。もう一つが1次査読結果の評価が低く、圧倒的に不利な状況から1週間で挽回しなければならなかった時。いずれの場合も時間の制約から挑戦を次回に見送るという選択肢もありましたが、絶対にあきらめたくなかった。がむしゃらに食らいついたからこそ結果が付いてきたと思います。

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石井さん: REAL-AIを立ち上げたコンセプトは、パナソニック全体におけるAI技術の底上げを通じた事業への貢献です。各事業会社でAIの専門技術を持ち、けん引役となるリーダーを1人でも多く育成することで、事業会社ごとに特性が異なる商材にAI技術をより迅速かつ低コストで実装できるようになると考え、これまで技術協力や研究アドバイスに当たってきました。中村さんのように、社内だけでなく世界から評価されるようなプロフェッショナル人材を増やしていく、そうした広がりによってパナソニックのAI技術の存在感を強められるのではと考えています。

FUTURE

インタビュー画像 中村さん(写真左)、石井さん

Highlight論文の選出を機にグループ内の複数部署から相談依頼が来ており、次のフェーズである商品への組み込みに向けて具体的に検討が進んでいます。製造現場などの最適化ソリューション、映像セキュリティ、車載・住空間センシングなどへの応用展開を見込んでおり、画像認識AIの多現場展開の加速、低コスト化への貢献が期待されています。相談を受けた部署からヒアリングすると、環境によってAIの性能が低下するという共通の問題に改めて悩んでいたことが分かり、「さまざまな現場に高性能な画像認識AIをいち早く届け、少しでも課題解決のお役に立ちたい」と中村さんは意気込みます。

*所属・内容等は取材当時(2024年11月)のものです。

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